この小さなカップとお皿達、まるでお茶碗とお茶托のようですね。
これはティーカップとソーサーではなくティーボウルと呼ばれています。
ヨーロッパにお茶が伝わったのは16世紀半ばといわれています。
スペインやポルトガルは当時、莫大な利益を求めて航海に大きな力を注いでいました。その先のひとつ、東洋で見つけたものが、茶と呼ばれるハーブでした。
小さなこの器は、東洋から来た茶器を真似て作ったれっきとしたイギリス製です。
ブルーのものは「ロイヤルウースター」の初期のドクター・ウオール期のもの。1775年製です。パターンはマンスフィールド。バックマーク、クレセントの中が空白ならば手描き、塗りつぶしたものはプリント、という話をカナダのアンティークショップのオーナーから伺いました。まだ本格的なボーンチャイナが生まれる前ですから、生地に透明感がなく灰色の陶土を思わせます。
こちらもまだボーンチャイナが生まれる前のものですが、手書きでとてもチャーミングな「ニューホール」のもの。
1790年製です。ニューホールはチェルシーと同じく古くからの窯で、今はもう既にありませんが、女性的な手描きが多いようです。
そしてこの器は南京カーゴの物です。1750年頃中国広州からオランダ東インド会社所有の船が沖で沈没、大量の輸出品とともに15万個もの陶磁器が沈み、1985年に引き上げられるまで、深い眠りについていました。そして翌年の1986年にオランダ、アムステルダムのクリスティーズで競売にかけられました。金彩はもう年月に晒されしてしまいましたが、深い味わいを醸し出しますね。
もうひとつ、このとても良い紅色のティーボウルはオランダはマーストリヒト窯のもの。少しプリントが稚拙なところもあるのですが、夫婦でお茶を楽しんでいる図柄がなんとも微笑ましいです。これはオランダに駐在している友人のセレクトを譲り受けました。
16世紀から18世紀にかけて、貴族を中心にお茶の文化が浸透してゆきますが、それぞれ持ち方が違い、下から支えるようにカップを持つ人や、親指と中指でカップをつまむ人、親指と人差し指でカップを挟む人など、今も絵画に残されています。
カップにハンドルがついたのは伝えによると1750年からと言われますが、熱い紅茶をカップから口元に運ぶにはハンドルが必要だったと思われます。熱いお茶を入れたカップを持つことに腐心してた貴族たち、しかし彼らは東洋への憧れとステイタスからあくまでもティーボウルにこだわったとも言われています。
イギリスに行ってお茶を楽しむ際に、機会があるときにはお相手に”Milk in first or milk in after?”と尋ねます。去年、親しくお茶を楽しんだ3人のイギリスの方に伺いましたら、全員が”Milk in first”でした。理由は「熱い紅茶を先に入れるとティーカップが可哀想」ということでした。それだけ初期の陶磁器はもろく傷つきやすかったとも考えられますね。